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H.T佛教大学教授の高野山の説明         真言密教の聖地・高野山の案内     2011.11.5 外景 高野山   高野山(海抜約900メートル)には総本山金剛峯寺を中心に百余の寺院  のある宗教都市で、そのうち53ヶ寺が宿坊。  弘仁7年(816)6月、空海は嵯峨天皇に「修禅の一院」を建立し、真言の 根本道場としたいと願い出、7月に認可。「幽ナル平原有リ、霊瑞至テ多  シ」『金剛峯寺建立修行縁起』。 金剛峯寺  元来、高野山全体を指す呼び名。明治以後、山内寺院の総本山・本坊。  現在の建物は文久3年(1863)に再建。  高野山真言宗管長(現在、松長有慶管長)。  山内には結界が引かれ、明治5年(1872)までは女人禁制。  結界内で特に神聖なところとして位置づけられている壇上伽藍と奥の院。 壇上伽藍  壇上には根本大塔、金堂、御影堂、西塔、孔雀堂、自主明神社、山王院  など、密教の行法上の堂塔が集中。 奥の院  入り口の一の橋から弘法大師入定御廟までの約2キロの墓地。  参道の両脇には石塔群、歴史に名を残した武将などが眠る。 御廟  弘法大師・即身成仏、入定の場所。 弘法大師・空海   宝亀5年~承和2年(774~835)讃岐国多度津、佐伯氏の出身。  15歳で上京、18歳で大学へ。しかし、満足できず退学、その意思を表した ものが『三教指帰』(儒教、道教、仏教を比較し、優劣を述べたもの)。 遣唐船  延暦23年(894)に、伝教大師・最澄とともに、第18回遣唐船で入唐。  最澄(38歳)は桓武天皇より命を受けた国費留学。空海(31歳)は願い出 て許可された私費留学。最澄は天台宗を修めて1年ほどで急いで帰朝。    一方空海は2年滞在し、長安西明寺で恵果から正統密教の秘法を受け、 真言宗第八祖となり、膨大な経典、図像、法具などを持ち帰った『請来目 録』。 京都高雄・神護寺において、灌頂(密教伝授の儀礼)とその記録、 『灌頂  歴名』。  最澄の灌頂を行った時の空海の真筆、(平安の三筆:空海、嵯峨天皇、橘 逸勢)   内景 時代の推移 奈良から京都へ、そして宗教の役割の変容。 最澄と空海の位置  比叡山・延暦寺の天台宗・最澄と真言宗・空海の教王護国寺と金剛峯寺  国のカタチを整える宗教から、宇宙・自然の理にかなった人の生の営みを具現する宗教へ。 遠い先の方に真理があるのではない。 即事而真(そくじにしん):現実の中にこそ、理想の世界、仏国土がある。  松長有慶『密教とは何か―宇宙と人間―』中央公論社、1993年、155~  156ページ。

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