公共の福祉論その1
 公共の福祉とは何かについての本質的な質問がA君から出されました。論理的な思考ができる人ならば誰でも1度は疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。これは、公共の福祉に関する論争の歴史を知らないと正確に理解することはむずかしい問題です。芦部教科書があっさりと書いているために、誤解が生まれているのだと思います。また、この論争にたいするまとめ方として、芦部教科書のまとめ方は問題があると私は考えてきました。いい機会ですので説明します。問答形式で説明しますが、さらに疑問のある人はメールをください。(永田)
A君からの質問
 憲法上の権利も公共の福祉により制限されることがあります。一元的内在的制約説にたつと、この制限は「人権相互間の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である」(芦部・憲法「新版」p97)とされています。(内在・外在二元論をとっても「経済的自由権や社会権以外の自由権は」権利に「内在する制約にとどまる」(芦部・憲法「新版」p96)ので、精神的自由の制限については同様の考え方になると思われます。)
 そうすると、ある権利を制限するには他の権利(少なくとも相当の法的利益)の保護を理由としていることが必要なように思えます。しかし、判例には、対立権利を明確にせず、というより対立権利らしきものが無いまま憲法上の権利の制限を許容していることがあるように思います。
 例えば、「住民基本台帳ネットワーク」大阪高裁判例では、結論はともかく、その理由中の判断で「本人確認情報の性質を考慮すれば、その収集、保有、利用等については、①それを行う正当な行政目的があり、②それらが当該行政目的のために必要であり、かつ、③その実現手段として合理的なものである場合には、原則として自己情報コントロール権を侵害するものではない。」としており、一定の要件を満たせば、行政上の便宜(権利どころか法上の利益と言えるかも怪しいと思います)を理由に憲法上の権利を制限してよいかのように読めます。
 本年度の新司法試験の問題についても同様に思います。本年度の試験問題では、おそらく信教の自由や居住移転の自由が問題になると思いますが(他にも平等権や94条も問題となると思いますが、この点は本質問には関係ありませんので置いておきます)、その制約根拠となる対立する権利は、「安全で快適な」「まちづくり」という、権利かどうかよくわからないものです。
 一元的内在的制約説にたつと、このような漠然とした利益を保護するための権利制限は許されないような気がします。しかし、憲法上の権利の制限を、「行政上の便宜」や「理想のまちづくり」等を理由として制限できなければ、常識的な結論を導けないような場面もある気がします。
 では、このように憲法上の権利を、「権利」と言えないような漠然とした対立利益を理由に制限する場合の法的構成は、どのように考えればよいのでしょうか(一元的外在的制約説だと説明できるかもしれませんが、当該説自体が妥当で無いと思います)。また、論文では、どのように検討すればよいのでしょうか。
 さらに、対立利益の性質により、違憲判断の審査基準も変わるような気がするのですが、どのように考えればよいのでしょうか。






質問に対する回答
 これは、公共の福祉に関する学説を整理した芦部説に問題があります。一元的内在的制約説(宮沢俊義の説)というのは、本来、こちらを立てればあちらが立たずというような鋭く対立する二つの学説を無理やり総合したごまかしの説です。矛盾を内包しているのです。一元的といいながら実はその中に二元的な対立を含んでいます。
 また、君が気がついているように公共の福祉は、人権と人権との衝突調整ですべてが説明できるものでもありません。したがって「公共の福祉」が人権制約の根拠だといってもそこから、解答や、解答のための何らかの基準を引っ張り出すことはできません。一元的内在的制約説では、公共の福祉をもち出しても具体的な事件の調整・解決において何のヒントも得られません。(それなのに、予備校の解答パターンでは芦部教科書に書いてあるからということでこれを書かせようとします) 解釈論としては「精神的自由には公共の福祉による制約は及ばない」という二元論のほうがはるかに基準としての意味があるし、説得力がある場合が多い(とくに市民の立場に立つ場合)でしょう。
 それはともかく、芦部は、総論としての公共の福祉についての説明は一元的内在的制約説という分かったような分からないような言葉でお茶を濁しつつ、重要なのは、事件の解決に役立つような具体的な審査基準だとして、二重の基準論や5領域説あるいは立法事実論などを展開していきました。「公共の福祉」は神棚に上げられたのです。ここには「公共の福祉による制約は認められない」という進歩的な学説をいくら主張しても当時の司法状況において勝ち目はない、最高裁を説得することはできない、と考えた芦部の政策的な判断が潜んでいます。
 したがって、厳格な審査か緩やかな審査かという具体的な基準作りの段階では、総論としての「人権相互間の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である」というのは無視しているといえば言い過ぎですが、あまりこだわっていません。だから、君みたいに、公共の福祉に関する総論の説明が最後まで一貫して貫かれていると思ってまじめにつきあうとばかを見ることになります。
 もう一度繰り返すと、芦部にとって公共の福祉という人権制約に関する総論は、一応の前提になってはいますが重要ではないのです。君が考えているように人権を制約するには、対立する具体的な人権を示さなければいけない、それが内在的制約説だというのであれば、人権を制約するほとんど法律は憲法違反となります。これはこれで人権重視の立派な説です。ただし、君も指摘しているように、内在的制約説に立ったとき、現実の利害対立状況を正確にとらえて記述できるかというと難しいかもしれません。答案として見た場合は、論理が単純になりすぎる心配があるといえるでしょう。
 それから、多くの最高裁判例の立場は、君の言葉でいえば一元的外在的制約説**です(薬事法判決以来の決まり文句でいえば、必要かつ合理的な制限かどうかです)。学生の解答もたいていの場合、行政上の便宜優先の一元的外在的制約説です。それなのに、答案の最初の部分で「一元的内在的制約説」あるいは「人権相互間の矛盾・衝突を調整する原理」と書く答案が多いので、矛盾した答案だということで低い評価を受けることになるのです。(永田)
*高橋和之の最近の教科書も修正的な見解をのべています。
**ただし、初期は一元的外在的制約説にのっとりながら、公共の福祉を優先させる(しかも、社会権重視という意味ではなく国益優先という意味での公共の福祉優先)という態度をとっていましたが、現在は利益衡量論的な枠組み(万能包丁)で解決を図ろうとしています。公共の福祉が負ける可能性があるということです。しかし、内在的な制約という考え方は採っていないといえるでしょう。
このあたりのことが、予備校本で勉強した人は全く分かっていないようで、当事者の主張のところでどう使っていいのか混乱している人が多いようです。
どうやれば公共の福祉論が使えるか、自分なりの理論を作ってみてください。おそらく一元的内在的制約説は使えないでしょう。一元的内在的制約説にたって対立利益を調整するためには、たとえば安全・安心を人権化する必要があります。「静穏な住環境を享受する権利」etc。しかし、これは「安全と自由」のところで書いたように現在のところかなり苦しい議論です。永田。