政教分離訴訟と訴訟類型
政教分離訴訟を提起するについて、住民訴訟による場合と国賠訴訟による場合とでどのような違いがあるか。原告の立場に立って考えよ。また、これらと異なった争い方は考えられるか。

 ①住民訴訟 客観訴訟なので原告適格と権利侵害に関する関門がないというメリットがある。デメリットは自治体の機関や職員の行為に限定されるということ。
 ②国賠訴訟 自治体だけでなく対国家機関訴訟が可能というメリットがある。相手が総理大臣でも争える。デメリットは原告適格と権利侵害の構成、立証が難しいため、憲法判断が行われないまま請求が棄却される可能性が高い。権利侵害に関して宗教的人格権や、間接的強制(心理的強制)をめぐる議論が続いている。
 国家あるいはその機関が政教分離規定に違反して宗教教育その他の宗教活動を行った場合、それが国民への強制や義務を含む場合には、その宗教を信仰しない人の自由を侵害することになるので、侵害された者が権利侵害を理由として憲法訴訟を提起することができる。強制が刑罰を伴っている場合には刑事事件の被告人として国家行為の無効を争うこともあるだろう。これに対して国の行為が国民への強制や義務を含まない場合(現在の靖国神社参拝もこれに当てはまる)には、それが信仰しない人の自由を直接侵害しているとはいえないので政教分離訴訟を提起するにはかなりの困難がある。
 1つは、職業的宗教家や熱心な信者が原告となり、20条1項や幸福追求権を根拠にして自己の宗教的人格権が侵害されたとして国賠訴訟を提起する方法である。もう1つは、宗教的人格権などというものを持ち出さなくとも20条3項それ自体が人権規定であって政教分離違反を排除する権利が各人に存するという解釈に基づいて、訴える方法(この場合、差止め訴訟も考えられる)であるが、現在のところ後者の解釈は通説とはいえず、裁判所も採用しそうにない。
 自治体の機関の行為で公金支出の違法性を争う場合は、住民訴訟という客観的な訴訟形式が用意されているのでこれを利用することができるが、しかし、首相の行為が問題となっているときにはこの訴訟形式で争うことは難しい。
 結局、国賠訴訟によらざるを得ないが、宗教的人格権についても自衛官合祀訴訟の1、2審判決と伊藤少数意見、滝井意見で認められたにすぎず、裁判所が原告の請求を認めることは難しい。
 したがって、国賠法上の事件として争っても請求が棄却される可能性が高く、判決理由において裁判所が憲法問題に触れなければ実質的に憲法訴訟にはならない。その限りで首相の靖国神社公式参拝という重要な憲法問題が日本の違憲審査制のもとでは司法的な解決が与えられないまま放置されるおそれもある。ただし、傍論的な形であっても、裁判所が判決理由で実体的な憲法判断(違憲判断)を行えば、判例としての価値をもつ場合もある(中曽根参拝大阪訴訟高裁判決憲百選Ⅰ-50、小泉参拝福岡地裁判決)。
 そのほか、神社が遺族の意向に反して合祀を行っている場合には、神社を被告とする民法709条に基づく訴訟も考えられるが、私人間に宗教的人格権が認められるかという困難な問題がある。(永田)