ドイツの3段階審査その2

4 比例原則について  すべてのハードルをクリアしないといけませんが、一番判断が分かれそうで、かつ、大半の人権訴訟において検討しなければならないものはというと4番目の比例原則でしょう。ドイツの3段階審査というと、すなわち比例原則のことだというくらい比例原則が重要な位置づけを日本で与えられていることはたしかです。ドイツでは基本権が最高法規として確立する前から、権力行使のあり方について「警察比例の原則」というものがありました。行政は市民生活への過剰な介入・規制をしてはならないということです。介入が必要だとしても、介入目的と介入手段との間には釣り合いが取れていなければならない。過剰な介入は違法な行政権行使になり、裁判所はこれをただすことができるというものです。しかし、これは法律の適用段階を問題としているにすぎません。  第2次大戦後、ドイツでも違憲立法審査権が導入されると、立法行為そのものの正当性が問われるようになりました。その審査に行政法で使われてきた比例原則が持ち込まれました。その結果、立法の介入目的と介入手段との均衡を問う審査が生まれました。そうするとアメリカの立法事実の審査(とりわけそこでの目的手段審査)と重なります。この部分だけに目をやれば(そして多くの受験生はここに注目するでしょうが)結局、アメリカの違憲審査もドイツの違憲審査も同じだということになります。  ただし、忘れている人がいるかもしれませんが、ドイツにはアメリカの二重の基準におけるような人権における価値序列はありません。職業選択の自由が表現の自由より価値が低いということはありません。しかし、二重の基準論も、価値序列の根本が崩れてきています。学生の中には価値序列を無視して、目的手段審査だけをやろうとする者がいます。それもその場限りで根拠もなく適当に、やれ中間審査基準を採用するだとか、やれ厳格な審査基準を採用するだとか書いています。本人が無自覚のうちにのうちにドイツの土俵に移っているといえます。  ドイツの場合、価値序列がないといいましたが、正確には経済的自由と精神的自由との間においてそのような優劣はないということです。本当は「人間の尊厳」という大例外があります。第1条の「人間の尊厳」は憲法改正も拒否する絶対的価値を認められています。そのために3段階審査においても人間の尊厳に関しては、介入(制限)は即憲法違反になります。いかなる正当化理由も認めません。たとえば、飛行機が乗っ取られてテロ攻撃に使われそうになったときその飛行機を国家が撃墜してもいいか。そのような権限を国家に授権する法律は合憲か。立法目的はテロ攻撃にさらされる多くの人の命を救うということです。そのために飛行機の乗客の命を失わせることは目的達成のための必要最小限の犠牲として正当化されるか。ドイツにおいてはこのような目的手段審査(第3段階の審査)は行われません。乗客の生命は「人間の尊厳」に関わるものでありいかなる手段化も許さないからです。人間の尊厳に国家が介入しただけで違憲となります。人間の尊厳については制限即違憲という例外が認められているのです。第2段階の審査で終わりです。日本国憲法とは規範の構造が違うので、ドイツの審査基準論を輸入する場合ここの部分をどう扱うかというのは重要な検討課題ですが、まだ学説上十分検討されていないと思います。  比例原則とは、目的、手段それぞれが正当である(許容されるものである)ことを前提として、手段が目的達成のために適合的かつ必要不可欠であることが求められるという原則です。適合的というのは「合理的」と言い換えてもいいでしょう。ふつう、立法者は馬鹿ではありませんから、自由を規制しようとするときに目的に適合的でない手段は取らないものです。個人レベルでは馬鹿な人がいて、「呪い」を使って殺人しようとする人がいます。源氏物語では成功するかもしれませんが、わら人形を突き刺しても目的は達成できませんから手段が適合的でなく「不合理」です。しかし、こんな簡単な問題は司法試験では出ないでしょう。  適合的を「合理的」とし、さらに必要不可欠を「必要」と言い換えると、「必要かつ合理的な規制」かどうかで合憲違憲を判断する日本の最高裁と似たようなものになりますが、最高裁の必要性は必要最小限だとか必要不可欠だとか、あるいはほかに取りうる手段がないといった強い意味が込められていないので、実際にはかなり緩やかな審査を行うことを可能にする判断基準になっています。  ドイツの比例原則はもっと厳しい審査を考えているように思われます。これに加えて、ドイツでは「狭義の比例性」というものがあります。これは目的と手段との間において釣り合いが取れているかどうかを問題にする基準です。ドイツの判例でよく出てきますが、狭義の比例性を加えると比例原則が複雑になると同時に、場合によっては審査の厳格度が弱められる心配もあると考えます。狭義の比例原則は評判のよくない猿払事件最高判決の判断枠組みにも影響を与えているといわれています。狭義の比例原則を採用した場合にどの程度の厳格さを日本で維持できるのか、日独の規範構造の違いをどう考えるのかと合わせて検討すべき重要な課題でしょう。  最後に、芦部信喜の審査基準論が万能でどこでもこれ一本で押し通せると思ったところから受験界の混迷が始まったといえます。それと同じことがドイツの審査基準論についても起こりそうな予感がします。皆さんはそうならないように気をつけてください。  いろいろな判例を読んだり日々報じられるニュースに目を通して人権感覚を磨き、どこに人権問題が潜んでいるのかを的確にえぐり出すための能力を養ってください。それが一番重要です。

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