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 4 憲法改正に限界はないか  日本国憲法は硬性憲法ですが、この条文は改正してはいけないという改正禁止に関する明文の規定はありません。しかし、学界の通説は、憲法三原則と96条の憲法改正規定は、憲法改正規定によっても改正することはできないという立場を取っています。憲法改正限界説といいます。改正規定がなぜ改正できないかといえば、たとえば硬性憲法が軟性憲法になることは制憲者の基本的な意思に反するからです。ちなみに、言葉が紛らわしいために気がついている人が少ないようですが、自民党の新憲法草案は、国民を憲法改正権の主体ではなく決定後の承認権者としての地位しか与えていません。現在は国会は提案者(発議権者)で、国民が決定するという方式が採用されています。自民党案は制憲者の意思に背くことになります。  改正限界説が通説になったことについては、日本国憲法が制定されたときの憲法改正の限界をめぐる論争の成果が反映しています。少し混み入っていますが現在につながるおもしろい問題ですので、紹介します。  日本国憲法の制定に際しては、形式上「新憲法の制定」ではなく、大日本帝国憲法73条による全面改正という方法がとられました。そのため、中身と形式との間のずれを法的にどう説明すべきかという問題が提起されました。天皇から国民へといった180度の主権原理の転換を旧憲法の改正手続によって行うことができるかという問題です。不可能ならば、日本国憲法は無効だという説も成り立ちます。日本国憲法無効説には占領下の制定を理由にするものもありますが、ここではそのこととは別に、君主主権の憲法から国民主権の憲法へという大転換が「改正手続」の枠内においてなしうるかということが問題になっています。多くの学説は改正限界説を前提としつつも、日本国憲法は有効に成立しているという立場を取りました。その代表的なものが当時、東大教授だった宮沢俊義の提唱した八月革命説です。それは、 ①憲法の改正には限界があり、明治憲法の改正手続で制憲者(明治天皇)の意思に反する根本建前を変更するのは、憲法の論理的な自殺を意味し、法律的に不可能である。 ②しかし、国民主権主義が八月革命(=ポツダム宣言受諾)によって成立しているという理由によってのみ違法でない。 ③明治憲法73条に基づく改正手続のうち、民定憲法の原理(国民主権主義)に反する部分(枢密院への諮詢、天皇の裁可、貴族院の議決)は、実際上拘束力がない。  これによって日本国憲法は正当かつ有効に成立している、というものでした。  「上諭」というのを知っていますか。六法を開いてみてください。日本国憲法の前文よりさらに前の部分に「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、…」という昭和天皇の言葉があります。昭和天皇がこの時点でも主権者であったならば、日本国憲法は欽定憲法だというおかしなことになりかねませんが、宮沢によれば、この上諭に法的効力はないと言います。天皇はもはや主権者ではなくなったからというのがその理由です。  通常、日本では市民革命は明治維新の時にも、敗戦の時にも起きなかったとされていますが、宮沢は、敗戦によって天皇制権力が崩壊したのだから八月一五日に法的な意味での革命が起きたと考えたのです。  しかし、革命ということになれば、旧憲法と断絶するため、新憲法の法的正当性に確信が持てない人々が出てきます。そのため、改正限界説ではなく、改正無限界説によって新憲法の正当性を肯定する学説も唱えられました。それは「憲法改正権は、憲法制定権と区別されるものではなく同質であり、憲法規範のうちでこれだけは変更してはならないといった原則や規定は存在しないのであって、すべての憲法規定が改正の対象となる」という説です。法は社会の中で生まれ、社会の変化とともに法内容も限りなく変化する。憲法といえどもその例外ではなく、これを人為的に押しとどめようとすることはもともと無理がある、そのときの主権者(憲法改正権者)が万能であり、そのときの主権者の行動を制憲者といえども拘束することはできない」という考え方です。制憲者が後世の改憲者を拘束できるとなると、原則の変更、廃除は無法と説明しなければならなくなるが、それは法秩序の安定にとって好ましくないというものです。この無限界説によれば人権や共和制といった憲法原理だけでなく、硬性憲法を軟性憲法に変えることも可能になります。  無限界説に対してはいろいろな批判が考えられますが、憲法は政治権力を制限するための規範であるという近代憲法の存在意義や役割を認めていない点に最大の問題があります。無限界説によれば、主権者が君主から国民へと変わる場合だけでなく国民から君主へと逆戻りすることも許されることになります。こうなると、実際は憲法の改正ではなく憲法の廃止すなわち非立憲主義時代への逆戻りを正当化することにもなりかねません。  日本では明治憲法から現在の憲法へという順序をたどったために欽定憲法というのも憲法の1つのあり方だと誤解している人がたくさんいます。しかし、本来の憲法は、明治憲法よりも100年も前に作られた国民主権に基づく憲法です。すでに説明したアメリカやフランスの憲法です。明治憲法は、政治の近代化を嫌った明治政府が上から作った亜流の憲法であるということに注意すべきです。  無限界説の立場に立つと「国のかたちはいろいろあるように憲法にもいろいろある」ということになりますが、現在の限界説の立場に立つと立憲主義に反するような「国のかたち」は認められないということになります。憲法の意義に立ち返って考えれば限界説が正しいといえるでしょう。  5 9条の改正は許されるか  では、つぎに9条の改正は許されるかという問題について考えてみましょう。限界説に立つと、具体的に日本国憲法の規定のうちで何が将来的にも守り続けて行かなければならないものであるかということが問題となります。先にのべたように、日本国憲法には、改正の限界に関する明文規定はありません。しかし、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三原則に関わる部分(前文を含む)および憲法改正規定をもって改正の限界とするとされています。  その解釈の根拠は、つぎのようなものです。国民主権に関しては「…この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」(前文第1段落)が、基本的人権に関しては、「…この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」(11条)が、戦争の放棄に関しては、「…国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」(9条1項)の各条文が挙げられます。これらは将来にわたっても変更は許されないことを制憲者が宣言していると解釈できるからです。  このうち平和主義は、不戦条約(1928年)、国連憲章(1945年)等を通じて、第二次大戦後(20世紀の後半)に国際的に承認されるようになった原理であり、近代憲法の二原則(人権と国民主権あるいは人権と権力分立)に含まれていない新しい原理です。冷戦後の今日でも残念ながら、すべての国に受け容れられるようになっているとはいえません。たとえばアメリカ合衆国憲法には平和主義に関する規定は存在しません。それどころか、アメリカ合衆国憲法では市民が安全のために武器を保有・携帯することは市民の当然の権利(人権)であるとされています(修正2条)。アメリカの銃社会を支えている規定です。私は、アメリカ市民の安全のためにもそろそろアメリカも銃社会から脱却した方がいいと考えますが、なかなかその方向に向かわないようです。  それはともかく、アメリカの憲法を基準として平和主義は普遍的原理とはいえないとする考え方もないわけではありませんが、第2次大戦後に制定された諸国の憲法には平和主義が採用される例が多く見られます。日本国憲法においては、章別の編成を見ても第2原理であるといえるので、これを改正の限界から外すことは適当でありません。  ただし、国際的な普遍性を考慮する場合、平和主義といっても、日本国憲法の非軍事的(非武装)平和主義は、国連憲章の要求する国際水準よりはるかにすすんでおり、その意味で特異なものといえます。9条の通説的解釈(学説)によれば、第1項は、不戦条約、国連憲章と同じく、国策の手段としての戦争や国際紛争解決の手段としての戦争すなわち侵略戦争を放棄するものであるが、自己の防衛のための戦争まで放棄するものでないとされています。これに対して、第2項では、自衛戦争の手段としての武力保持までも放棄しており、この結果、自衛戦争も放棄しているとされています。そこで、改正の限界を設定する場合に、第1項の部分については改正してはならない普遍的原則だとしつつも、第2項については、改正してもかまわないとする議論も成り立たないわけではありません。この説は、実定法上の根拠として「永久に放棄する」は1項にしかからないということを挙げます。しかし、このような解釈は正しくありません。日本国憲法の第2原則たる平和主義(第2章の章題は「戦争の放棄」)は一体のものであり、2項を切り離しては価値がなくなるからです。また、平和主義は9条だけでなく前文においても規定されていますが、そこでの「恒久の平和を念願し」の「恒久の平和」には、9条2項も含まれていると解釈するのが自然ではないでしょうか。  さらに重要なことは、9条に関しては、学界の通説ではなく政府の憲法解釈によって実際の運用が行われていることです。政府の憲法解釈によれば、9条2項は特別の意味を持つものではなく、侵略戦争のための武力行使とそのための軍隊保有を禁止する規定です。このような政府解釈に基づく9条2項を前提とするならば、侵略戦争の禁止だけを絶対的な限界として憲法を守ろうとする学説の立場に立っても、9条2項の削除は侵略戦争の禁止という歯止めを取り払うことを意味しますから、改正権の限界を超えており「違憲の憲法改正」ということになるでしょう。  以上をまとめると、9条2項は1項とともに制憲者が将来の国民を拘束するものとして打ち立てた原則であり、その改廃は、憲法の改正手続によっても行うことはできないということになります。  6 憲法の改正か新憲法の制定か  さて、9条2項の改正を含む今回の自民党案は、形式上「憲法改正」方式ではなく「新憲法の制定」方式をとっています。日本ではこの60年間、新憲法の制定も部分的な改正も全く行われてこなかったので、賛成論にも反対論にも、この違いを意識していない議論を見かけますが、ここには重大な問題が含まれています。なぜ改正ではなく「新憲法の制定」なのかという問題です。今後、加憲、創憲、各党からさまざまな案が提案されると思いますが、「日本国憲法の改正」なのかそれとも「新憲法の制定」なのかよく注意してみてほしいと思います。  「アメリカの作った押しつけ憲法」を否定し自主憲法を制定することは、自民党の結党以来の悲願ですから、ずいぶん間延びしたけれども自民党の作る憲法は新憲法でなければならぬということなのか、それとも願いむなしく50年もたってしまったが、明治憲法の寿命も60年足らずであったし、日本における第2次憲法の寿命も尽きたと考えれば、第3次憲法の制定にふさわしい時期になったと考えているのでしょうか。その割には、自主憲法制定の旗を振り続けてきた中曽根康弘氏も批判するように、前文の理念があいまいで格調も低く、「押しつけ憲法」を受け入れた上で、部分的な手直しをしただけのようにも見えます。  私は、自民党が新憲法制定方式を提案しているのは、改正限界論から浴びせられるであろう批判を封じることができるという理由もあるだろうと思います。つまり、9条改正は憲法の平和原則を否定しているから改正の限界を超えており許されないという批判を免れることができるからです。  しかし、新憲法制定方式にも矛盾があります。現在の憲法が制定された時には、市民革命が起きたかどうかはともかくとして敗戦という政治的な激変があり、旧政権が崩壊したことは事実です。主権者も交代しました。現在は、そのようなことは何もないのになぜ新憲法の制定なのか。国民も小泉「改革」にはついてきても法的には革命を意味する「新憲法の制定」にまでついてくるかどうかは分かりません。天皇から国民へという主権原理の転換は伴わないが、旧国民から新国民へ制憲者の交代があったということになります。「明治憲法」から「昭和憲法」へそして「平成憲法」へということになりますが、国民はそこまでの大変化を望んでいるのか疑問です。そこで、そこのところをあいまいにして、片方で新憲法の制定といいつつ、片方で原則の変更はないかのように宣伝しているのだろうと思います。  「革命」とそれに続く「新憲法の制定」ということになれば現憲法の96条に基づく改正手続は不要です。さらに国民投票法の制定も不要です。旧憲法を全面的に否定してこそ意味がある「新憲法」だからです。それでも現憲法の改正条項に基づく手続が採用されるのであれば、それは便宜上の問題にすぎないということになります。自民党の新憲法草案はそれを予定していますので、ここにも矛盾があります。  憲法96条は国民投票を予定しているのにその手続を定めた法律が存在しないのは立法の不作為であって憲法違反だという主張があります。私も国民投票法が制定されること一般に対して反対ではありません。それは憲法の改正一般に反対でないことと同じ理由からです。これまで、一度も改正の機会がなかったために、そのような法律が作られてこなかっただけのことです。  しかし、いま国民投票法を制定するというのであれば、憲法の存在意義と憲法改正の限界の意義をふまえたものでなければならないと考えます。つまり、日本国憲法の3原則と改正規定の改正は憲法改正の対象とはならないことを法律の中に明記しなければならず、そのような規定を置かない国民投票法は、憲法違反の立法になると考えます。  7 アジア統合のかなめとしての9条    アジア諸国をはじめとする外国が見た場合、「新憲法の制定」はどう見えるでしょうか。60年間、アジアにあって先進的な民主主義国としてリードしてきた日本が今なぜ「改正」ではなく「新憲法の制定」なのか。戦後の民主主義はまやかしだったのか。戦勝国アメリカの圧力のもとで渋々民主主義の看板を掲げていただけなのか。新憲法の採択は、軍国主義の反省と民主主義の標榜は60年かぶり続けてきた仮面にすぎなかったのだと受け止められるでしょう。私も、日本のこの60年間の政治の歩みはそんなに立派だったとは思いません。本格的な政権交代がないなど民主主義国としては未熟な面や矛盾を多く抱えながら歩みだったと思います。危うい場面もたくさんありました。しかし、近代的意味の憲法を捨てることなく曲がりなりにも維持し続けてきたことは確かです。そのことは周辺諸国に誇れることだと思います。  日本と似た境遇で戦後再出発したドイツと比べてみます。ドイツは周辺諸国の信頼を勝ち取るために大変な努力を続けてきました。その努力の1つが立憲主義の確立でした。ドイツの「基本法」は「人間の尊厳」を第1条に掲げていることで有名です。「人間の尊厳」は、自由、平等、博愛とは別の理念ですが、ナチスの時代を経験したドイツであるからこそ生み出された憲法価値であるともいえます。今では、この憲法価値が、ほんものであると近隣のヨーロッパ諸国に認知され、東西統一後も維持されただけでなく、ヨーロッパ憲法の原則の1つに採用されました。すなわち、ヨーロッパ憲法(未発効)は、フランス由来の自由、平等、博愛に加えて、ドイツ由来の「人間の尊厳」を付け加えたのです。このようにしてドイツはヨーロッパ世界において民主主義国のリーダーとしての地位を獲得するに至っています。ドイツは、戦後、数多くの憲法改正を行ってきた国としても有名です。51回も改正しています。今後も何度も憲法の改正を行うことが予想されますが、しかし、「人間の尊厳」を軸とした憲法原理を放棄することはないでしょうから「新憲法の制定」はないと思われます。どのような口実にせよ、もしも、ドイツが「新憲法の制定」をいいだせば、ナチスの反省はどこに行ったのだという批判を浴びてたちどころにヨーロッパ諸国の信頼を失うでしょう。  私は、日本の「戦争の放棄」は、アジアとヨーロッパという舞台の違いがあるとはいえ、ドイツの「人間の尊厳」とほとんど同じ位置を占めるものだと思います。それぞれ、民主主義一般とは違う独自の歴史的価値を持っています。それぞれ、加害者として暗い過去をもつ国の生まれ変わったことを示す証文であるだけでなく、地域統合の新しい理念としての意味ももっていると確信します。今後はヨーロッパと同様に、アジアでも地域の統合が重要な課題になってきます。経済格差もひどく、東北アジアの漢字文化圏を除き文化的な共通性も乏しいアジアの未来には悲観的な見方もあります。しかし、アジアの統合はいずれは達成しなければならない課題です。日本が何をもってそこに貢献するかを考えた場合、9条の先進的な平和主義は、戦前の「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」と異なり、歓迎されこそすれ敬遠されたり排撃されることはないでしょう。さいわい、現在までのところ日本の非戦の誓いはかろうじて守られてきたと他のアジア諸国からも評価されているのです。  私たちは、戦後60年の立憲主義の歴史に誇りを持つべきです。憲法の全面改正を繰り返したり、指導者によって「国のかたち」をころころと変える国は、立憲主義の国とはいえません。周りの国からの信頼も得られません。祖父母の世代の悲惨な戦争体験と父母たちの平和への努力の積み重ねによって守られてきた立憲主義と「戦争放棄」の原則を「新憲法の制定」によって、水泡に帰するようなことがあってはなりません。

憲法改正の壁(2)-9条はアジア統合のかなめ-                         司法研究科 永田秀樹 はじめに 1 憲法は何のために存在するか 2 憲法は新しいほどいいか 3 何のために憲法を改正するのか 4 憲法改正に限界はないか 5 9条の改正は許されるか 6 憲法の改正か新憲法の制定か 7 アジア統合のかなめとしての憲法9条

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